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日本人が優しいのは遺伝子に原因があったのではないか


だから、多くの国で、自分の友人や親族の誰かが殺された経験を持っている。

女性も、殴られたり、レイプされたりする率は非常に高い。その殺され方も日本人が見ると、想像できないほどの残虐性である。だから、多くの外国人女性が日本にやってきて、日本の治安の良さに驚嘆する。

「いったい、日本はなぜこんなに治安が良いのか?」

日本がこれほどまで治安が良いのは、いろいろな説があるが、端的に言えば、日本人が穏やかで優しい民族だからである。

では、なぜ日本人は穏やかで優しいのか。

日本人は文化や風習や自制心によって、その優しさを磨いてきたという説もあった。

最近になって、日本人が優しいのは遺伝子に原因があったのではないかという説が有力視されつつある。

1996年11月、オーストリアのザルツブルク大学の科学者が、「セロトニントランスポーター遺伝子」というものを発見した。

これは、セロトニンの伝達に関連する情報が書き込まれた遺伝子なのだが、この遺伝子は、恐怖を強く感じるか、それほど感じないかを司る遺伝子だったのだ。

この遺伝子の組み合わせによって、人は恐怖を強く感じたり、それほど感じなかったりするのである。これが、人種によって違っているのが明らかになった。

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世界では何かあると暴動や暴力や破壊が発生する。日本でも暴動が起きてもおかしくない案件が山ほどあるが、ほとんどの日本人は我慢する。

日本人は圧倒的なまでにSS型で占められている


「セロトニントランスポーター遺伝子」のタイプは3つあったのだが、この3つのタイプで恐怖を感じる度合いが違ってくるのである。

3つのタイプとは以下のものである。

LL型 恐怖に鈍感
SL型 恐怖に中立
SS型 恐怖に敏感

人種によって、どのタイプが多いのか分布がまったく違っていることが分かっている。恐怖に敏感なSS型が、その人種でどれくらいの割合で存在しているのかを調べたデータがあるようだが、それによると、以下のようになっていたという。

南アフリカ人 32%
ドイツ人 64%
インド人 67%
日本人 97%

日本人は圧倒的なまでにSS型で占められている。ほとんど全員がSS型と言ってもいいほどだ。

恐怖に敏感であるということは、悪いことのように見えるが、実は厳しい環境の中で生き残るためには欠かせない重要な要素である。

恐怖があるから、慎重になり、それゆえに生き残りやすい。また、環境の変化に敏感で、トラブルが起きる前に回避してしまう行動を起こすから、結果的に社会は安定したものになる。

つまり、優しい社会になる。

このSS型が世界で最も多いのが日本人であるとすると、日本人は、遺伝子レベルで優しさが組み込まれていたということになる。日本人の優しさは、先天的なものであり、天性のものだったのである。

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2011年3月11日の東日本大震災という未曾有の震災に見舞われても、略奪も暴動も起きず、日本人同士で助け合った。震災よりも、日本人の態度に世界は驚いた。

集団で相手と対抗するというのは、重要な知恵だった


「セロトニントランスポーター遺伝子」のSS型が多いというのは、個体としては弱いということを意味する。

恐怖を感じやすいというのは、すなわち激しい主張、激しい暴力、激しい対立、激しい交渉は苦手だということだ。それは日本人の社会を見ても納得できるものがある。

諸外国の厚かましさは、日本人から見れば想像すらできない「野蛮な世界の住民」にしか見えない。

インド人はSS型が67%だから、優しい人も意外に多いように見えるが、日本人から見ると、そのインド人ですらも野蛮人か原始人のように見える人が多い。

それほど、日本人は優しい。

だから、この弱さを克服するために、いろいろな方法が日本では考え出された。集団を作り、常に集団で相手と対抗するというのは、その中でも最も重要な知恵だった。

個人と個人なら、どうしても勝てない。しかし、個人と集団であれば、集団の数が大きければ大きいほど勝てる。

日本人が集団で生きるのが当然のように考えるのは、逆に言えば集団でなければ勝てないことを自覚しているからだ。

この集団は、互いに気配りするために非常にまとまりが強い。長期に渡って、ひとつの目標に向かって進むことができる。だから、集団になった日本人は異常に強い。

集団になった日本人の強さは時に伝説を生み出すのは、日本人ひとりひとりが弱さを克服するための集団であることを意識しているからだ。

逆に言えば、集団から外れて、ただの個人となった日本人は、とても弱い可能性が高い。

日本に自営業の人が外国に比べて少ないのも、個人であることの弱さを認識しているからであると言える。

そんな世の中で、もし日本人のあなたが一匹狼として生きるのであれば、個体としての弱さを克服するために、何らかの知恵が必要になるということだ。

そうしないと、一方的にやられてしまう可能性がある。

日本人が優しく、個人が弱いのは、遺伝子に原因があった? (via sqiz)

(via book-cat)

本当のことを言うと、団地になるような広大な土地なんて都会には残ってなかったんだ。
そこで再開発の名のもとにスラムを潰してその土地を団地にしたんだよ。
そしてスラムの住人は優先的に居住権が与えられた。

場所によっては差別されていた人たちが住んでいたり、差別利権に絡んでヤクザまがいの人たちまで団地に入居した。
そういう団地が立つ前の土地の状況を知っている人は団地を怖がっていたね。

ニュース30over : 子供の頃、親から団地の子と遊ぶなって言われたよね。 ←大人になり真実を知ったとき悲しかった - ライブドアブログ (via itutune)

(出典: kuzira8)

では何がいけなかったのかというと、事なかれ主義に身を置いて、インターネット上での批判を真に受け、関係者が自分の出世レースに響くからと、『ほこ×たて』を打ち切ってしまったことです。最終的にそれを判断したフジ上層部が一番よくない。

—では、フジとしてはどのような対応を取るべきだったのでしょうか?

長谷川 すべてをエンターテインメントに持っていくのが一番でした。例えば「絶対にやらせを見破るBPO(放送倫理・番組向上機構)委員」vs.「『ほこ×たて』スタッフ」で、やらせを見破れるかどうかという勝負をさせてみる。最終的に「BPOがやっぱり見破れなかった」というのが一番面白いオチですよ。もしくは、「絶対に反省しない」と『ほこ×たて』スタッフに言わせた上で、「絶対に反省しないという人を反省させられる」と言う東京・新宿二丁目の女王様軍団と、1時間1本勝負をさせる。それで、『ほこ×たて』のスタッフたちを1時間鞭打ち・引きずり回し・熱湯に入れて、最終的にはスタッフが鼻水を流しながら「すみませんでした」と言わせることで、笑いに持っていける。

 昔のフジならそれくらい朝飯前で、「やらせ批判」なんて「話題の一つ」にできた。でも今やあんな状況です。その程度の演出力もないのであれば、テレビなんかやめろ、と言いたくなる。

 以前、韓流番組をたくさん流すフジに抗議する人たちのデモが同局の前で起きましたが、あの時、同局はそれを報じませんでした。全盛期のフジであれば、絶対にとんねるずがいじってますよ。エガちゃん(江頭2:50)が三輪車に乗ってデモ隊に突っ込んでいってますよ。それで、エガちゃんがデモ隊の真ん中まで行った段階で「ペ・ヨンジュン大好きー!」と叫んでボコボコにされるのを(ナインティナインの)岡村(隆史)さんと矢部(浩之)さんが見て笑うという演出ができるはずです。デモ隊なんて巻き込めばいいんですよ。すべて巻き込んで笑いにつなげるのがバラエティ番組なんです。その程度の演出力もない、面白くないフジが「悪」だと、そう考えています。

テレビのやらせ批判は間違い?その実態と生まれるカラクリ 情報番組で横行するステマ(3/5) | ビジネスジャーナル (via kaosf)
186 名前: 水先案名無い人 [sage] 投稿日: 2010/06/18(金) 17:33:50 ID:Yp5wtHQP0
モザイクの発祥は日本だからな
もともと春画の陰部を隠せっていう規制が幕府から出されたときに
春画に海草で出来た海苔状のマスクを貼っておいて「ちゃんと隠してますよー」って売ったんだけど
後で蒸気で蒸らすと簡単に剥がれたんだよね
その海草でできた陰部を隠す膜の名前「藻細工」が始まりだとか
モザイクの発祥は日本だからな:ぁゃιぃ(*゚ー゚)NEWS 2nd (via motovene)
 そして何より、ポリビタンBさんは結婚に関して大変な勘違いをされています。「愛があって結婚する」と書いてありますが、結婚は愛のためにするんじゃありません。<生き抜くため>にするのです。「愛があるから結婚する」という発想が成立するのは、日本中が都市化して、さらに日本の平和な経済システムが永久に存在することを大前提にした場合です。今の日本の社会は、たまたまコンビニに象徴されるように一人で暮らしていける構造になっているだけで、これがもしちょっと経済的、環境的な苦境に立たされた時、一人で暮らしていくことがかなり難しいでしょう。おそらくポリビタンBさんは大病にかかったことがないから、簡単に老後も一人でやっていけるようなことを書けるのだと思いますが、たとえば風邪で3日寝込んでラーメンも食べられないような状況の中で、温かいミルクを作ってくれるパートナーの存在は、僕は暮らしの中で圧倒的に重要であると考えます。
 それなりの年齢を重ねて生活をしていくには、男と女がカップルになり生活を営むということが基本的な原則なのに、今はその辺のトレンディドラマやコミック、アニメの悪い影響で「愛」が先になければ結婚してはいけないというファンタジー……つまり「嘘」に囚われすぎています。愛というのは、言ってしまえば現代人が作った妄想で、恋愛と結婚は行為としてはまったく別物です。考えてみれば、昔の人たちは「家の都合で」「親のいいなりで」「食うに困って」結婚するケースが多く、おそらく「愛」という感情を重要視した結婚は極めて少なかったはずです。しかし、そんな風潮の中でカップルになった夫婦が死ぬまで不幸だったかというと、そんなケースはむしろ少なかったのではないでしょうか
 そしてもうひとつ、ポリビタンBさん自身が、ご両親の結婚があったからこそ生まれたということを考えてみてください。長い人類の歴史で、概ねの人が結婚し、子供を育ててきています。ということは、その行為には何らかの意味があるはずです。その意味は個人個人みんな違いますし、その結果――結婚したことで、もしくは子供が生まれたことで不幸になった人というのもいるでしょうが、様々な結婚や子育てがあったおかげで今日の我々が存在しているわけです。その今までの経緯は無駄ではなかった、という考え方もあることを理解していもらいたいのです。
TOMINOSUKI / 富野愛好病 「富野に訊け!」月末発売! 応援記事その1――「独身か、結婚か、それが問題だ」 (via kuzira8)

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